No. 2007年11月の出来事
2007-2008スケルトンワールドカップシーズンの開幕となる初戦が11月29日カナダ・カルガリーで行われた。新ルールにより、各国の参加人数が一人ずつ減り、全体で25名の選手で競われた。人数が減ったからといって上位に食い込めるチャンスが増えたわけではなく、逆に精鋭ばかりの集まりとなり、厳しい試合となった。 公式練習はレース前3日間行われ、いずれも気温-15℃という厳しい寒さの中で行われた。昨年は-30℃を超えたこともあったのでそれに比べればましだが、寒さはパフォーマンスを落とす最大の敵である。地元のカナダ、そして、ドイツ、アメリカ、イギリスと昨年よりも一回り成長した選手達が好タイムをたたき出す中、日本選手は私も含め苦戦を強いられた。特に大きな差を感じたのは、私の苦手とするスタートタイムの部分であった。飛び抜けて早い選手は昨年と変わらずロシアのアレキサンダー選手だが、他の選手も夏のトレーニングの成果を十分に発揮し、早さが増していた。 レース当日は、公式練習時と比べ気温が多少上がったが、それでも-10℃であった。13時05分にレースが始まり、各選手次々と公式練習を上回る好タイムを出した。私のスタート順は12番、それまでの最高タイムが57.23秒、このタイムを基準に1秒差以内に入ることが課題とされる。 順調にスタート台に立つ。体を冷やさないように着ていた防寒着を取り、厚さ2ミリのレーシングスーツだけになっても-10℃の寒さは感じなかった。スタートのコールがされグリーンランプが点く。いつのもようにスタートのステップを踏む、1歩、2歩、、、。ソリの抵抗に体が負け、ソリから体が離れてしまった。「しまった!」そう思ってもソリを止めるわけにはいかない。そのまま押し続け飛び乗る。滑走は理想的なラインを築いた。ゴールラインを切り、電光掲示板を見る。58.60秒。予選落ち。 原因ははっきりしていた。辛い瞬間である。この年齢でワールドカップに出場し、成長著しい各国の選手達と戦うことの厳しさは十分承知している。そして、今シーズンやらなければならないことも承知している。それを覚悟し、夏の過酷な練習もこなしてきた。しかし、ミスを許されない選手が簡単にミスを犯してしまっては勝負にならない。 「お前、いったい何やってんだ」と心の中で叫ぶ。自分が自分でありながらやりきれない思いがつのる。悔しい。なりふり構わず暴れたくなる。しかし、次で結果を出すには、暴れているより先に記憶が鮮明なうちに今回の反省を十分に行い、次に挽回をするには何が必要なのか考えるのが先決である。シーズンは始まったばかりである。決められた課題を淡々とこなすことが好結果への近道である。 優勝は、地元カナダのポール・バーン選手で、私は23位であった。
平成19年11月 越 和宏