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がんばりましょう
クレヨンで書いた手紙

No. 2007年9月の出来事

42歳のぼやき

          

   42歳。年齢は関係ないとは言いながらも、この年齢で現役選手として活躍するには若かりし頃とはトレーニング、食事、生活リズム等、何をとっても同じことは一つもないない。最も違うのは、「常に真剣勝負」でなければならないという気持ちのあり方である。そうした生き方をしていると、今まで気にならなかったことが気になるようになり、時としてそれに腹が立ったり、許せなくなったりする。
 以下に記載した三つの出来事は、私の身近で起きた、許せない小さな出来事です。

  『優先席』
 お年寄り、妊婦、体の不自由な方々が優先的に使用できるのが優先席で、主にバスや電車に設けられている。合宿で東北を訪れた際の電車での出来事である。出発時刻に合わせ人が乗り込んできたが電車は混み合うこともなく全員が座れた。優先席は、混み合っていなければその資格がなくとも座ることが許されるので、高校生や一般の方もその席に座っていた。
 電車は、進むにつれ混み合いが増してきた。途中の駅から三人のお年寄りが乗ってきた。一人は、優先席の空いている場所に座り、他の二人は空きがなく立ったままであった。そのお年寄りには悪いが優先席に座ったままの資格のない人達がどうするのか観察することにした。一人は音楽を聴き、一人は寝た振り、一人は雑誌を読んでいる。誰一人としてお年寄りに席を譲ろうとする気配はなかった。
 しばらくして私は、一人のお年寄りに席を譲り、もう一人のお年寄りには、優先席に座っていた高校生に声を掛け、席を譲らせた。(譲らせた、と言うより、無理やり立たせた)高校生は、私に文句を言ってくることはなかったが、ふてくされた様子であった。少ししてお年寄りは電車を降りたのだが、降りる際に席を譲った高校生と私に「ありがとうございました」とお辞儀をしていった。
 優先席の上には「お年寄りや体の不自由な方には席を譲りましょう」と誰にでも分かるように書いてある。しかし、誰一人として実行する者はいないし、それを注意する者もいなかった。

  『タクシー』
 タクシーに乗り、目的地まではワンメーターで到着した。料金を払い、領収書を頂いた。ワンメーターで期待する金額を稼げなかったせいかもしれないが、運転手さんの口からは「ありがとう」の言葉が一言も発せられなかった。おまけにトランクに入れた荷物も運転席下にあるレバーを引いてトランクを開けるだけで車から降りて荷物の上げ下げを手伝ってくれることもなかった。

  『満席』
 お盆休みも終わりに近づき、帰省ラッシュもピークを過ぎた頃、新幹線に乗る機会があった。帰省ラッシュがピークを過ぎたというのに指定席は満席で、自由席を使うことになった。始発ではなかったので、自由席も満席、通路やデッキにも人が立つような状況で私も座ることはできなかった。少しでも混雑を避けようと指定席車輌のデッキに立つことにしたが、やはり混雑していた。一人ひとりの荷物も多く、通路を歩くには人と荷物を掻き分けなければならないほどであった。
 音楽を聴く者、新聞や雑誌を読む者、床に座る者等と様々な光景がありながら、ちょっとした陣地取り競争が繰り広げられているのを感じ取った。混雑して座れない状況の中にも、壁に寄りかかれたり、空調の利きが良かったり、快適な場所があるのだ。そうした場所からはどんなに人が押し合っても岩の様にして動かない人がいるのだ。
 途中の駅で足に障害を持つお客さんが乗ってきた。二本の松葉杖を使っても歩くのが不自由な方だった。当然、その方が乗るには人が除け、床の荷物を除けなければならなかった。大抵の人はそうしたが、どんなことがあっても快適な場所から動かない陣取り競争をしている人達は、邪魔になっている荷物が自分のものであっても決して動かすこともなく、自分の陣地を守り通していた。

  上記の三つに限らず似たことが沢山ある。
 こうした現実が「当たり前」とか「良く見る光景」とされるならこの世の中は益々荒んでいくだろう。
 有限な人生において誰しもが楽しく、幸せな人生を送りたいと願っているに違いない。荒んだ世の中に、楽しく、幸せな人生を築くことができるのだろうか。私はできないと思っている。何故なら、人は自分一人では生きられないし、成長もしない。人は、人によって育てられる。だから自分が付き合う人(家族、友人、知人等々)によって幸せにも不幸にもなるのだ。だとすると「自分さえよければ」と考える荒んだ心を持った人達ばかりの中では自分は幸せになれない。自分の幸せを願うのであれば、他人の幸せも考え願わなければならないのである。
 他人や周囲に必要以上に関心をもつことはないが、一人ひとりのモラルの低下がやがてはどうなるのかということを考え、低下しているモラルを当たり前とされることに関心と危機感を持つべきだと思う。

 

平成19年9月 越 和宏