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がんばりましょう
クレヨンで書いた手紙

No. 2007年2月の出来事

ワールドカップ転戦日記(2月)

          

  ワールドカップ第6戦 トリノ(イタリア)大会
 ちょうど1年前にオリンピックが開催された場所に戻った。トリノ市内から西へ1時間半ほど車で走るとフランスとの国境を迎えるが、手前を南へ降り、山を登りつめていくとセストリエール(選手村があった街)にたどり着く。標高2,000メートル。ちょっとした天空の城といった感じがする。まだオリンピックの名残がいたるところにあり、1年前のあの悔しい思いが鮮明によみがえってくる。

トリノ会場の風景
トリノ会場の風景
 スケルトンワールドカップ第6戦が2月6日から開催された。天候は毎日良好で、日中は+15℃ぐらいまでになる。選手は皆、防寒着を脱ぎ捨てTシャツ、短パンでウォーミングアップをするぐらいであった。暖冬、雪不足。もし、これが昨年だったらオリンピックは開催できなかったと思う。
 意気込みは、他の大会と違っていた。昨年のオリンピックでの2本目の失敗は、一生忘れることはできない。その借りを返す「リベンジ」の気持ちは頭から湯気が出るほど強かったからである。また、先日の世界選手権での惨敗もその気持ちに一層拍車を掛けていた。
 公式練習中からの感触で、戦略は着実に仕上がっていた。昨年失敗した第4コーナー、第5コーナー、そして、18コーナーの操作もしっくり体になじんでいた。
 試合当日を迎えた。天候までが1年前と同じで朝方は少し曇っていた。徐々に雲が晴れ、試合が始まる13時には快晴となった。天候、コースコンディション等、リベンジをするには最高の条件が揃っていた。
 滑走順12番、私の順番が来た。それまでに滑り終えた選手が好タイムを出していた。スタートタイム5.86秒(昨年を上回る)、第4コーナー手前で昨年の失敗が瞬間的によみがえる、ソリは止まることなく第4コーナー、第5コーナーと滑り抜けた。理想とするラインを描いて滑った。ゴールタイム58.22秒、1本目を終え8位。
 2本目が始まった。気持ちはより集中していた。オリンピックも2本目で失敗をしていたからである。スタート前、武者震いなのかはわからないがソリを持つ手がかすかに震えていた。スタートタイム5.85秒、ゴールタイム58.32秒、合計6位。表彰台は逃したが、昨年のリベンジをはたした。リベンジができたことのうれしさより、1年を経て、成長している自分を確かめられたことがうれしい。課題は、一つ良くなれば、一つ増えるというように減ることはないが、一つ一つの課題が解消されるということが次へのステップを踏むためのエネルギーになり勇気になる。今日のような試合ができれば、まだまだ進化できる。

  ワールドカップ第7戦 ウィンターベルグ(ドイツ)大会
 トリノ(イタリア)→リヨン(フランス)→ジュネーブ(スイス)→ローザンヌ(スイス)→バーゼル(ドイツ)→フライブルグ(ドイツ)→フランクフルト→マールブルグ→ウィンターベルグ、約1,300キロの移動を2日間で行った。道路事情の良いヨーロッパでは半日もあればこのぐらいの距離は簡単に移動できるのだが、途中何度も交通渋滞に巻き込まれて2日間も掛かってしまった。ちなみに、貧乏スケルトンチームは陸が続いている限り大抵のところは車移動をする。監督もコーチもいない今シーズン、運転は選手が行った。時速無制限のアウトバーンをアクセルいっぱい踏み込んでかっ飛ばすのは最高である。(残念ながら我々のレンタカーは時速160キロがマックスであった)
 ウィンターベルグは、フランクフルトから北へ車で2時間のところにある田舎街で、最大の特徴は天候が悪いことである。過去のレースを紐解いても雪、雨、濃霧といった天候がほとんどで、皆、ウィンターベルグのことをウォーターベルグと皮肉って呼ぶくらいである。到着した日も案の定、大雨であった。
 公式練習は、2月13日から3日間行われたが、雨、雨、雨、水着が必要なくらいであった。前回同様調子が上がらなかった。スタートの調子は上向き傾向であったが、その後の滑走で理想に近づくことができないでいた。何が原因なのかを追究するのに一人の力では限界があった。ソリの調子も長野ワールドカップ以降悪くなっている。頼るものが何もないのは厳しい。
 2月16日、レース当日。快晴。何年に1度しか見られないと思われるこの景色を目に焼き付けようと思ったのは私ばかりでなかった。コース状況は、公式練習と一変し、柔らかかった氷が硬くなった。私のスタート順は2番、好順番であった。1番スタートのカナダの選手が好タイムをいきなり出した。それに次いで私もと、自分に期待したが現実は甘くなかった。58.78秒、カナダの選手から0.7秒遅れた。決勝進出が微妙な位置であった。後続の選手が、好タイムを出したカナダの選手と私の間に入るタイムを次々と出し、私の順位はどんどん下がっていった。1本目が終わり18位、ギリギリで決勝に進めた。2本目、1本目のスタートタイム5.18秒を上回る5.14秒を出した。ゴールタイム58.81秒、1本目と順位が変わらず18位で試合を終えた。
 スタートタイムが向上しているのは救いであったが、滑走で、その効果を殺してしまっているのが現実で、やはり戦うためのアイテムがないのは厳しい。言い訳に聞こえるかもしれないが、試合は総合力の勝負なのである。一つが優れていても、一つが劣っていては勝てないし、勝負にならない。竹光で真剣勝負に挑んでいるようなものかもしれない。
 厳しいレースは、最終戦である次も続くと思う。当たり前のことだが、「何が」「何故」というものを一つでも解明することが今後の躍進につながる。腐りそうになる気持ちを抑え、「進化するオッサン」の実現に向けてそう気持ちを切り替えるとする。
 ウィンターベルグは、オランダからのスキー客が多い。レースが終わった日、偶然にもオランダに支店を構える某コピー機で有名な会社の日本人の方々にお会いした。初めてお会いしたにもかかわらず、深夜までビールを酌み交わした。『一期一会』

  ワールドカップ最終戦 ケニックゼー(ドイツ)大会
 前回ワールドカップが行われたウィンターベルグから真直ぐ南下すること約8時間、最終戦が行われるドイツとオーストリアの国境近くにあるケニックゼーに到着する。ケニックゼーとは湖の名前で、本当の街名はベルヒテスガーデンという。ザルツブルグ(オーストリア)に近く、ヒトラーの別荘(ケルシュタインハウス)があることでも知られている観光地である。

湖の遊覧船乗り場にて
湖の遊覧船乗り場にて
 暖冬は日本だけでなくヨーロッパも同じで、どこに行っても雪がない。我々の競技は、暖冬の影響が全くないという訳ではないが、人工冷却装置を使用していることからさほどその影響はない。特にケニックゼーのコースは、険しい山の谷合に作られていることから日陰で、その影響はほとんどなく、氷のコンディションが一定である。ここの特徴は、コース中間に設けられている200メートルほどの微妙に曲がりくねった直線で、ここを上手く滑れるかがタイムに大きく影響する。この直線を壁にぶつからずに滑るのは不可能ともいえる。しかし、1回だけ的確な場所にぶつけるとその後はほぼ直線的に滑り抜けられるのである。手前過ぎても、奥過ぎてもいけない、非常に難しい。
 2月20日から公式練習が始まった。タイムが全く伸びなかった。何故なら、直線が見事に抜けられないからであった。公式練習3日間、本当に完璧なまでに駄目であった。おまけに用具の不調も重なり、ひどいときには最下位のタイムを出すほどであった。不調は隠せない事実であったが、最終戦は、シーズンの締め括りであり、コンデショニングを含めベストな状態で試合を迎えられるよう努めた。体調は良く、体の切れ、バランス等、長野ワールドカップの時に近い仕上がりであった。公式練習時から抱いていた直線を抜けられない不安は解消されないままであったが、できる限りの策をとり、2月24日の試合当日を迎えた。
 滑走順9番。既に滑走を終えている選手達が公式練習時を1秒以上も上回る好タイムを出していた。スタートタイム4.88秒、自己ベスト。ずっと思い悩んでいた直線をわずかなミスはあったものの練習時より遥かに上手く滑り抜けた。滑りながら、好タイムの予感を抱いていた。クライスル(横に一周するカーブ)に入ったとたん悪夢が起きた。ソリが横滑りを起こしたのである。修正するのがやっとだった。ゴールタイム48.77秒で最下位であった。他の選手が次々と好タイムを出し、1日目が終わり21位予選落ち。むなしさが全身を覆っていた。昨年のオリンピックのときと同じ感覚であった。「何が?」、「何故?」、「どうして?」、心の中で叫んでいた。
 結論は簡単「弱いから」「力がないから」である。
 いつも自分に言い聞かせていることだが、重要なのは「何が?」、「何故?」、「どうして?」を解明することである。勝負の現場にいる以上、どんなに腐っても、沈み込んだとしても、この作業から逃れることはできない。負けが続くと苦痛にしか思えない。
 まずはドイツの上手いビールを飲んで一息ついてから、この作業に取り掛かるとしよう。『ブロスト!』

 

平成19年2月 越 和宏