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No. 2006年12月の出来事
ワールドカップ転戦日記(12月)
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ワールドカップ第2戦 ソルトレイクシティ(アメリカ)大会
12月7日、2002年冬季オリンピックが開催されたソルトレイクシティ(アメリカ)でワールドカップ第2戦が行われた。ここは、標高が高く(2,200メートル)、高速コースである。最高速は130キロ以上に達する。スタートから間もない7コーナーを過ぎたあたりで既に130キロに達し、ほぼ減速することなくゴールする。技術的な難易度は低いが、高速であるがゆえに操作のタイミングが重要とされる。ほんの少しタイミングがずれてもラインがはずれ、大きな減速となる。もう一つ重要とされるのが、初速のスピードである。初速が速ければ難易度が低いからこそ、その勢いでゴールまで押し切ることができる。鈍足の私には、分がないコースとも言える。
公式練習は3日間とも好天に恵まれ順調に行われた。前回のカルガリー大会同様、各国の勢いは我々を常に上回っていた。初速を上げても、ラインを変えても、用具を変えても、何をしても一向にタイムは上がってこなかった。ただ、練習する毎に確実にラインは見えてきていた。スケルトン競技のライン取りをビリヤードに例えることがあるが、第一コーナーの入り方がよければ第二、第三コーナーと考えなくてもソリが勝手に進んでくれることがある。今回は、それに似たような感覚があった。しかし、最後の一手が決まらないまま公式練習が終わってしまった。同部屋の稲田選手は「最後にミラクルが起きることを信じましょう」と言うが、練習でできないことは、本番ではできないというのが私の考えである。今回の海外遠征で日本男子チームには、監督もコーチもいない。不具合がある場合の対策を練るには、稲田選手と私とでお互いに上手くいっている点、上手くいかない点を言葉に出し、議論をしながら出した答えを実践するという方法を取っていた。試合前日も同じように意見を交換し、決まらない最後の一手についても稲田選手から意見をもらった。
好天、好条件で試合当日を迎えた。私の滑走順は26番。1本目、スタートタイム4.90秒(自己ベスト)、その後、練習通り順調に一つひとつのカーブを滑り、最後の一手が決まらなかった場所に差し掛かった。意見交換をした通りに操作をする、なんとも見事にラインが決まった。ゴールタイム49.74秒(全体の14位)。2本目、スタートタイム4.90秒、1本目同様順調に滑り降り、ゴールタイム49.62秒(全体の15位)。
合計15位。前回のカルガリー大会24位からすれば今回の15位はそれなりに評価ができる。
今回、本番で最後の一手が決まったことを「ミラクル」だとは思わない。確かな事実(稲田選手との意見交換)と確かな技術による成果である。練習での課題と、その課題に対する緊張感をいかに持つかが本番の結果、成果につながり、本番でのそれに対する反省、分析が次への結果、成果につながる。全ては当たり前のことだ。しかし、視点を間違えると確かな事実を見失い、深い闇へと入り、ミラクルを期待するばかりになる。年々スケルトン競技のレベルは上がるばかりである。確かな事実を見極められる目を養わない限り、先はない。
ワールドカップ第3戦 レイクプラシッド(アメリカ)大会
12月15日、ワールドカップ第3戦がレイクプラシッドで行われた。レイクプラシッドは、ニューヨーク州の西側に位置し、1980年冬季オリンピックが開催された場所としても、また、リゾート地としても広く知られている。
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| レイクプラシッドのメインストリート |
このコースは、第1戦が行われたカルガリー、第2戦が行われたソルトレイクシティとは正反対にスピードは110キロ程度と低速だが、カーブの展開が早く、荒々しい。音楽で例えるとしたら他のコースがワルツだとしたら、ここはロックンロールである。まさしくアメリカ人好みのコースだ。勿論、初速の良し悪しは問われるが、操作技術の良し悪しがそれ以上に問われる。初速のない私にも分があるといえるが、各選手の操作技術の向上がある中、そう簡単に事は運ばない。
3日間の公式練習は順調に行われた。地元アメリカの勢いは手の打ちようがなく、我々がコース攻略に四苦八苦している中、常に1秒以上の差をつけ、我々をあざ笑うかのようであった。私の調子も悪くはなかった。しかし、滑走後半のタイムの伸びに問題を抱えていた。
試合当日。気温、湿度、共に高く、氷の状態は思ったより緩んでいた。滑走順は、11番。好順番であった。スタートタイム5.21秒(自己ベストタイ)。滑走は、そつないものだったが、練習同様後半の伸びに欠いた。1本目の順位16位。2本目、氷は1本目より緩んでいるように感じた。スタートタイム5.19秒(自己新)。滑走はラインを慎重に狙った。緩んだ氷に強い操作は禁物だが、思ったよりランナーのグリップが効いてしまった。1本目の順位を一つ落とし、合計17位で終了した。
ワールドカップ前半戦となる3試合が終わった。どれも結果はいま一つだ。年々選手のレベルが拮抗してきている。したがって、100分の1秒を制する正確な技術と、精神力を持ち合わせないと勝機はめぐってこない。本物のアスリートの姿が問われるに違いない。]
スケルトン全日本選手権大会
12月24日、平成18年度スケルトン全日本選手権がスパイラル(長野市)で開催された。学生を始め若手選手の成長が著しく、大会の内容も年々質が高くなり、激戦となっている。今年は、男子31名、女子9名の参加があった。
気温1℃、氷温-5℃、快晴、絶好のコンディションであった。前日の公式練習では非公式ながら数名の選手がコースレコードを塗り替える54秒台の好タイムを出しており、本番でもコースレコードを塗り替える可能性を十分秘めていた。
12月18日に海外遠征から帰国したばかりで、体調を整えるのに苦労をした。(オッサンアスリートのハンディを感じる部分である)しかし、日に日に体の切れを取り戻し、良好な状態に仕上がっていった。
午前10時、大会開始。滑走順は8番。コースコンディションが良好であることを証明するかのごとく、私の前に滑った選手が55秒を切る好タイムを出した。その他も55秒フラットに近いタイムを出した選手が何人かいた。まさしく激戦となった。私の順番が来た。スタートタイム5.04秒、自己ベスト。ゴールタイム54.89秒全体の1位。スタートは、重心、ソリとの距離感、足の接地等、イメージ通りのいい走りができた。滑走については、自分のイメージとするラインから2~3cm外れる細かいミスがいくつかあった。2本目のコンディションも1本目同様好条件であった。上位選手は2本目も崩れることなく、好タイムを出した。1本目は1位で折り返したが2本目でミスをすれば順位は5位ぐらいまで後退するほどに1本目のタイムは皆僅差であった。私の順番が来た。スタートタイム5.02秒自己ベスト更新。滑走タイム54.82秒コースレコード。2本目も1位でゴールし、優勝することができた。
たかが全日本選手権といえども、試合の内容には進退が掛かっていると思っている。若いときのように失敗してもまた次があるという状況に置かれているとは思っていない。そうした緊張と恐怖の極限で試合をすることが、応援、支援してくれる皆さんに応える姿だと私は思っている。前日の公式練習の状態では、優勝の可能性は五分五分であった。若い選手達は、私を引きずり降ろすチャンスだと思っていたかもしれない。それだけに、緊張感が高いレースで優勝できたことはうれしい。
今年の全日本選手権は、選手の力が拮抗していただけに素晴らしい内容の大会であった。観戦に来ていただいた皆様、大会運営に携われた皆様、参加した選手、全てに感謝をします。
大会が終わり静まりかえった会場で、高校の後輩達とシャンパンファイトをした。(ちなみに昨年は2位だったので、自宅に持ち帰り晩酌用となった)飛び散るシャンパンが、今日の喜びを象徴していた。
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