10月2、3日:コング合宿
暑かった夏には、早く時間が過ぎないかと日々願っていたのが、秋の風が吹きシーズンが近くなったことを感じると、時間がゆっくり過ぎてくれないかと願っている。もう少し、体力強化に時間が欲しいという思いからである。今回の合宿では、全身のバランス、フォーム、動きの確認を重点的に行い、海外でのコンディショニングに役立てることを目的にメニューが組まれた。総評としては、合格点ギリギリというところかと思う。何を悔やんでも時間は進んでおり、前向きに物事を考え、進化するための方法を常に考え、実践する努力を惜しまないことである。シーズンを楽しみに迎えることにしよう。
10月7日:愛知県碧南市『総合型地域スポーツクラブシンポジウム 2006 元気ッス!』講演
愛知県碧南市で行われた総合型地域スポーツクラブシンポジウムの中で講演を行った。シンポジウムの趣旨と私の講演の内容は全く関係がないものとなり、出席された方々には退屈な時間となってしまったと思うが、お許し下さい。講演後には、立教大学の松尾哲矢教授をナビゲーターに迎えパネルディスカッションが行われ、パネラーとして参加した。総合型地域スポーツクラブとは、あまり聞きなれない言葉で私も知識に乏しいのだが、簡単にいうと子供から高齢者までの幅広い年齢層で生涯にわたってスポーツを楽しむ「場」を地域に作り、地域が一体となってスポーツの自立したシステムを創り出す、ということかと思う。パネラーとして参加したものの、普段、地域社会におけるスポーツの実態などほとんど考えたこともない私は、恥ずかしい限りであった。参加していてわかったことがあった。これらのシステムが高齢化問題、少子化問題、経済社会問題等、私たちを取り巻く環境において対策の一役を担っていくということである。やがては私にも引退の時が来る。その時には、自分のやってきた経験を基に何か社会に貢献できるようにしたい。今日の経験は、その時の参考に大いになったと思う。
10月12日:コング合宿
明日からの海外遠征を前にバランスだけを整える目的で合宿を行った。春からずっと悩まされていた骨盤のゆがみも随分まともになってきた。完璧ではないが、修正が短時間でできるようになった。飛行機の長旅でどのようになるのか心配はあるが、修正方法も知っている。それよりも片手押しの成果が心配だ。気持ち良くシーズンに入れるかどうかは片手押しの成果よって決まるだろう。
10月13日~25日:海外遠征合宿(ノルウェー)
ようやくシーズンが訪れた。10月13日から25日までノルウェー・リレハンメルで滑走トレーニングを行った。毎年この日を迎えるのを楽しみにオフトレーニングに励むが、ここ数年は、この日が来るのが少し怖く感じるようになった。体力の衰えは、止めることはできない。今取り組んでいるのは、体力の衰えを技術の完成度を高めることで補い、総合的な能力を高めるということだ。今オフシーズンは、骨盤のゆがみの改善に時間を必要以上に割いてしまい、強化という点で少し心配があった。リレハンメルは、オスロから北に車で2時間ほど走った田舎街である。既に紅葉が終わり本格的な冬を待つばかりであった。期間中、1度だけ雪が降り積もった。滑走トレーニングはほぼ毎日行えた。課題のスタート(片手押し)の完成度はいまだ納得がいかない状態であった。しかし、昨年より確実に安定してきている。これだというコツを掴んでしまえば先が見えてくるのだが、なかなか簡単にはいかない。あっという間に最終日を迎えることになってしまった。課題は山積みの状態であったが、最後の滑走で最大の課題である片手押しの難問を解くヒントが見えたような気がした。気がしただけで正解か不正解かはわからないが、日本に帰ってトレーニングする楽しみができた。心配は尽きないが、悩むよりも頭を使って体を動かすことにする。Never give up
10月25、26日:コング合宿
25日午前9時、関西空港に到着。ノルウェーから帰国し、その足でクラブコングへと向かった。ノルウェーと日本との時差は、7時間。私の体内時計は深夜2時の状態である。体はだるく重い。完全に時差ぼけである。到着後、ほぐしメニューへと早速取り掛かる。眠い。飛行機移動の疲れからくる骨盤のゆがみを心配していたが、意外にも体のバランスがよく、動きがスムースであった。今までは、遠征から帰国するとその疲れもあり、直後は体がきしむような感覚がした。しかし、今回は全くそれがない。ようやくコングでのトレーニングが体に染み付いてきたのかもしれない。帰国後早々のトレーニングは正直辛い。しかし、時差ぼけを早期に解消し、体をリセットするのに効果があることを感じた。
10月28日:トータルオリンピックレディース会表彰式
トータルオリンピックレディース会(TOL)とは、戦前、戦後を通じてオリンピックに出場した女子選手の会を作ろうということで1985年10月10日に正式に発足した会のことで、夏季は1928年のアムステルダムから2000年のシドニーまで、冬季は1936年のガルミッシュッパルテンキルヘンから2002年のソルトレイクシティまでの出場者、860名の会員で構成されている会である。会長が木原光知子さん(きはら みちこ:競泳、’64東京)、副会長が平松 純子さん(ひらまつ じゅんこ:フィギュアスケート)と橋本 聖子さん(はしもと せいこ:スピードスケート・自転車)となっている。今回、TOLからトリノオリンピックの話題賞ということで表彰をいただいた。惨敗に終わったオリンピックだっただけにこうした賞をいただくことに抵抗があった。しかし、バレンタインデーのチョコレートすらまともにもらったことない私ですから、異性から表彰されるのは何よりも名誉なことで光栄に思い、素直にいただくことにした。表彰式は、会の総会に合わせて東京目白の㈱デサント本社において行われた。会場には一般のお客様も含め約300名の方(大半が女性)が詰め掛け、会長の木原さん自らマイクを握り、大林素子さん(バレーボール)との軽快なトークで式が進められていきました。表彰式というよりトークショウというおもむきで、会場のお客様と一体感があるのが何とも手作り感というのか暖かみを感じた。また、オリンピックの場面で活躍した女性会員の方々が、女性ならではという気遣いを随所にしていただいたことがとても印象に残った。ある方が以前『スポーツ選手である前に、一人の人間として立派でなければならない』といっていたのを瞬間的に思い出した。会長の木原さんはじめ、会場でお会いした女性オリンピアンの方々は皆選手としてはとっくに現役を退いている。しかし、皆から強い勢い、オーラを感じた。それは、選手時代に培った経験や、社会からいただいた恩恵を何らかの形で社会に返す、貢献するということを考えているからだと思う。それは、一人の人間としても立派であるからこそ、そうしたことを実践実行できるのであろう。
10月29日:ソリ競技の普及
1998年長野オリンピックでのフィギアスケートとショートトラックの会場となったのがホワイトリング。その後、ホワイトリングは総合体育館となり様々なスポーツイベントに使用されている。この日、長野市ミニバスケットボール大会が行われ、その脇でソリ競技の選手発掘と競技普及のイベントを行った。ローラーの付いたソリによるリュージュ体験、ボブスレー、スケルトンの展示、そして、オリンピック選手によるサイン会等。即席で行ったイベントということもあり充実した内容ではなかったかもしれないが、とにかくミニバスに参加した子供達にソリに触れて体験していただき、ソリ競技を知ってもらおうということで行った。試合を終えた選手たちが随時詰めかけてくれた。何でも自分が想像した以上のスピードが出ると恐怖を感じるが、程よいスピードだと楽しさを感じる。ローラーリュージュの体験は、それと同じで子供達は何度もリュージュのソリに乗っていた。この体験をきっかけに、一人でも多くのソリ競技選手が誕生してくれることを期待したい。そして、オリンピックに出場して金メダルを取るような活躍をしてもらいたい。ソリ競技は特定の人にしかできないスポーツだと思われがちだが、滑り台を滑るというような遊びが原点なのです。だから誰にでも簡単にできるのです。皆さん、氷の上でソリ遊びをしてみませんか。日常生活では味わえないスリルと興奮があなたをお待ちしています。
10月29日:長野県民スポーツフェスティバル参加
ニュースポーツを中心に行う長野県民スポーツフェスティバルが松本市の総合運動公園で行われ、お昼のラインチタイムイベントにゲストとして、水泳の萩原智子さん、カーリングのチーム長野の皆さんと一緒に参加した。ニュースポーツとは、『年齢や体力に関係なく「だれでも・いつでも・どこでも」「気軽に・楽しく・安全に」「自分の能力や体力に応じて」「生涯をとおして実践できる」スポーツのことで、ニュースポーツを楽しむことは、単なる健康づくりにとどまらず、「人と人とが出会い」「情報を交換して交流を深め」「豊な人間関係を育て」「高齢者や障害者の自立と社会参加」につながる』ということである。種目としては、グラウンドゴルフ、ペタンク、スカイクロス、ワナゲ、羽根っこゲーム、ビーンボーリング、ふうせんバレーボール、クロリティー、ガラッキー、フライングディスク(アキュラシー、ディスタンス)、シュートゲーム等とまだまだ多種目である。今回我々が挑戦したのは『ユニカール』という陸上でできるカーリング競技のような種目で、三人一組で対戦し、交互にストーン(カーリング用語)を投げ、最終的に決められた円の中に残っていたストーンを点数化し、点数が多いほうが勝ちというゲームである。カーリングと同じように相手のストーンを円からはじき出し、自分のストーンがより点数のいい場所に運ぶのが醍醐味のようである。チーム長野VS萩原、長野県教育長、越の混成チームに分かれゲームを行った。チーム長野圧勝の雰囲気があったが、最初のゲームは我々が見事にチーム長野を撃破した。ヤジを飛ばすなどして可愛いチーム長野の皆さんを翻弄させたのが勝因だったが、2ゲーム目はまんまと本領を発揮させられてしまった。本来は、一試合9ゲーム行い、トータルで勝敗を決めるそうだが、今回は時間の都合で2ゲームとなった。トータル、6対3でチーム長野の勝ちであった。我々が行っている競技スポーツは、肉体を強化し、精神を鍛える。そして、時には、人の失敗や怪我をチャンスと捕らえることもある。体を動かす楽しさ、人と会話をし、交流を深める楽しさを感じたりすることは正直あまりない。今日は、我々が忘れかけている子供の時にかくれんぼや鬼ごっこを楽しんだあの感覚を味わうことができた。多様化する社会の中で、事件、事故が絶えない。こうした社会においてニュースポーツの発展普及から得る効果は大きいのではないかと勝手に思った。期待します。
11月2日:『長野県獣医師会東信地域研修会』講演
長野県の上田、佐久、小諸、軽井沢等の一帯を東信地区(地域)という。この日、上田東急インで行われた獣医師会東信地域研修会において講演を行った。いつものごとく経験談を話すだけだった。講演ではいつも、がんばること、努力をすることが、自分の可能性を開花させる最も簡単で難しい方法だと話す。当たり前のことなのだが、当たり前のことを当たり前のようにすることほど難しい。それはさておき、今回の講演で勉強になったことがあった。そえれは、「努力しなさい」「がんばりなさい」という言葉が聞く側にとって時には、重く苦しい言葉に聞こえる時もあるということだ。これもまた難しいことである。難しいことが多いほどやりがいがあるが、聞く側の気持ちになって話をする技術はまだ私にはない。学生の頃は、勉強が嫌いだったが、人生の深みを増すにつれ勉強の必要性を問われることが多くなり、勉強することが少し好きになってきた。勉強をすることで、世界が変わることがだんだんわかってきたからである。私の言う勉強とは、語学のことではなく、実学のことである。しかし、実学を学ぶには語学が必要だということもわかってきた。『時既におそし』かもしれないが、これも可能性を開花させるには必要なことである。今日の講演からは、人生の宿題みたいなものをいただいたような気がした。
11月3日:『木曽町三岳文化祭』講演
文化の日、各地で様々な催し物が行われていた。この日、私は高校時代の陸上部の後輩の依頼で木曽町三岳地区(旧三岳村)において三岳地区文化際で記念講演を行った。三岳地区は、私の実家(王滝村)の隣で、王滝村と同じく木曾の御岳山の麓に位置する。紅葉も既に終盤を迎えていたが、それでも山の木々は色とりどりに変化をなし、私の心を和ませてくれた。講演の内容はいつもと変わらず、経験談をだらだらと話しただけだった。しかし、今回は地元ということもあり、話す内容により具体性があり、生い立ち、夢、願望、汚点等を話す中で、会場からも沢山の笑いがあり、いつもの講演とは一味違った。特に、青春時代を共にした同級生や後輩達はバック・トゥー・ザ・フューチャー気分だったに違いない?講演が終わり、陸上部の後輩達と喫茶店でコーヒーを飲んだ。皆、身形はオッサン、オバサンになった。しかし、話が始まれば時代は何も変わっていない昔のままだ。過去を振り返ってばかりの人生は嫌いだが、年をとり志がなくなりかけた時には、全てを過去に戻し、何も怖いものを知らなかった時の勢いを感じるのも良い。そうして、勇気を出すための勇気を持つことが必要だと思う。
11月4日:長野県スケルトンクラブ食事会
現在、長野県スケルトンクラブのメンバーは21名。パチンコ屋の店員、自衛隊員、消防学校の先生、坊主、技術屋さん、新聞記者、農業、無職等、職種は様々である。この日集まったのはメンバーの半分程度だったが、久し振りに食事会(飲み会)を長野駅前フォーチュンキッチンで行った。普段は開始の合図から体育会系のタフな飲み会になるのだが、今回はお店の落ちついた雰囲気もあり、紳士淑女の飲み会になった。だから今回は裸体を披露する奴もいなかった。安心したと言えばそうなのだが、やはり体育会系ですから・・・・。二次会、三次会、・・・何次会まで行ったのかわからないが次の日は予定通り二日酔いだった。「酒は飲んでも飲まれるな!」「酒は飲んでも女にはだまされるな!」「酒を飲んでもタバコは吸うな!」大学に進学する時にお袋に言われた言葉だ。「酒は飲むが飲まれてばかり」特に、スケルトンクラブの飲み会では毎回だ。本音で語らうがゆえにそうなってしまう。言い訳に過ぎないかもしれないが、心を通わせるには必要なことだと考えている。楽しい食事会(飲み会)だった。
11月7日:筑北中学校講演 『質疑応答』
11月7日は、午前午後で2つの講演依頼があった。午前中は、長野県東筑摩郡麻績村と筑北村の組合立筑北中学校で講演を行った。長野市から長野自動車道を南に30分程走ったところに麻績ICがあり、麻績ICを降りて一般道を聖高原側に向かって10分ほど行ったところに筑北中学校がある。標高800~1500mの筑摩山地の山々が四方を取りまく自然豊かな場所にあり、この時期は紅葉がとても綺麗だった。色とりどりの紅葉を背景に建つ、白くてモダンな校舎は印象的であった。講演は朝の肌寒さが残る体育館で行われた。講演の最後には大抵質疑応答の時間を設ける。中学生の場合には、部活動での悩み等をよく質問されるが、ここではユニークな質問を幾つか受けた。一つは、「私の子供には普段どんなことを厳しく言っていますか?」であった。普段合宿等で家を留守にすることが多く、子育てはすべて家内に任せている私にとって痛いところをつかれた質問であった。家では、あまり口にはしないが、『生きる力』を身に付けていってもらいたいと思っている。例えが適切ではないかもしれないが、我が家の子供3人それぞれに100円のおやつ代を渡すとする。今の時代、100円でまともなおやつは買えない。しかし、創意工夫をすればそれぞれが満足するおやつを買うことができる。いわゆる直面している問題に対して頭の中の引き出しをいくつ引き出せるかということだ。引き出しの数は、学校の勉強からも学べるが、それだけでは通用しない。それらを今自分達が接している環境の中から学んで欲しいと願っている。もう一つの質問が「生まれてきた時は何色でしたか?」であった。??????ふざけた質問だと思ってしまえばそれまでだったが、真剣に受け止めて見た。瞬間、以前テレビの番組で心理学者らしき人が子供達に同じ質問をしていたのを思い出した。子供達は、カラーだったとか、白黒、無色だったとか様々な事を言っていた。中にはお腹の中にいた時にお母さんが口ずさんでいた歌まで覚えていた子供がいた。さて、私は何色だったのだろか。うー!わからない。とっさに、「子供の頃にはまだ白黒テレビがあったよ」と冗談でかわしてしまった。私はまもなく42歳になる。とても42歳らしい生き方、考え方を持ち合わせているとは思わないが、確実に柔軟な思考を失っているように思う。視点を変えることで、決まりきった事でも見え方、考え方が変わってくる。そうした柔軟性が、人がいつまでも成長、前進するうえで必要な要素の一つであろう。歳は取ってもそうした柔軟な思考を忘れないようにしよう。
11月7日:聖南中学校の『どっこい清掃』
筑北中学校から車で15分ほど南に移動したところに、聖南中学校がある。そもそも今回の筑北中学校と聖南中学校の講演は、聖南中学校に在職する横沢先生とのご縁で実現することになった。聖南中学校を訪れるなり真っ先に目に入ったのは、晩秋の肌寒いさなか、上半身裸になり短パンいっちょうで玄関先を掃除している数人の男子生徒の姿であった。校舎に入るとやはり男子は全員上半身裸に短パン、女子はTシャツ姿に短パンで「どっこい、どっこい」と掛け声を出しながらもくもくと掃除をしている。なにやら、怪しさを感じたが、後から校長先生にお伺いすると、28年も続いている伝統の『どっこい清掃』だということがわかった。その昔、便所は汲み取り式で、長く掃除をしていると臭気にやられてしまうことから、木造で取り外しがきいた便器を外に出して上半身裸になって徹底的にきれいにしたのが始まりで、「どっこい、どっこい」の掛け声は真剣になるうちに誰彼となく出した言葉だそうだ。今では、水洗化になり、掃除用具も洗剤も進化し、掛け声を掛けるほど気合を入れなくとも綺麗になるが、掛け声を出すことで自然に真剣さが増し、何よりも無駄口がでないので効率が上がるということである。「昔とスタイルは若干変えながらも、生徒自からの手によってその精神を脈々と受け継いでいることは我が校の誇りの一つでもあります」と校長先生がおっしゃっていた。講演は、いつもと変わらない経験談であったが、生徒達は皆真剣に聞いてくれていた。生徒の皆さんの集中力が違った。これも『どっこい清掃』で培ったものに違いない。「健全な肉体に、健全な精神がやどる」まさしくこの言葉の通りであった。大人になるにつれ純粋さをなくしていくように思うが、心を磨くことまで忘れてはならい、そんなことを感じた講演であった。昼食にいただいた学校給食がとても美味しかった。
11月12日:海外遠征合宿(アメリカ・カナダ)
11月12日、本格的なシーズンの始まりとなる海外遠征へ出発した。今回の遠征の概要は、まず、アメリカのレイクプラシッドで10日間の滑走トレーニングを行い、その後、ワールドカップ第1戦(カナダ・カルガリー)、第2戦(アメリカ・ソルトレイクシティー)、第3戦(アメリカ・レイクプラシッド)と転戦し、帰国となる。各国の成長著しい若い選手との戦いは、激しさを増すことは間違いない。伸びしろの少なくなっている私にとっては、肉体的にも、精神的にも常に崖っぷちの状態での戦いになると予想する。年齢に関係なく厳しい状況におかれてこそ人間は成長する。しかし、その努力というのか、苦痛から逃げてしまえばその成長はない。逃げるのは簡単で、戦うのはエネルギーと苦痛を伴う。大きな喜びを得るために大いに苦痛と戦いたいと思う。
11月30日:ワールドカップ第1戦 『惨敗』
11月30日、シーズン開幕戦となるスケルトンワールドカップ第1戦カルガリー・カナダ大会が行われた。日本男子代表として私の他に、稲田選手、東條選手が参加した。
トリノオリンピック後、選手の入れ替えが各国で行われ新人選手の姿が目立つ大会となった。通常ワールドカップは、3日間で6本の公式練習を行い、4日目に本大会を行う。しかし、今回のカルガリー大会は異常気象(気温-30度)の為、予定されていた公式練習が1日キャンセルになり、2日間で4本の公式練習を行い本大会となった。-30度の世界は私も初めての経験であったが、バナナで釘が打てるというコマーシャルが嘘ではないことが良くわかった。車のエンジンもかからない世界である。
寒さだけが原因とは言えないが、公式練習から調子が上がらなかった。私の滑りの特徴は、スタートタイムが悪いのをカバーするために特別なラインを築きながら、滑れば滑るほど加速して行くというものである。しかし、今回は何をしても加速が得られなかった。そんな状態のまま本大会を迎えた。本大会ならではの独特な緊張感から何かミラクルが起きることを期待したが、何も起こらないまま58.06秒(参加選手35選手中24位)で大会を終えた。『練習は、試合のように。試合は、練習のように。』私が講演でよく話す言葉だ。この言葉の通り、練習でできなかったのに、試合ではミラクルが起きてくれと願っても無理な話である。世界の舞台は、それほど甘くはない。若い選手は、成績を出すとますます勢いを付ける。オッサンは成績が出なくなると勢いがなくなり、今後のことを考えるようになる。事実、私もここ数年は、何度もそんなことを考えた。しかし、戦いの現場にいる以上、若いもオッサンもない。戦っている限りは、今回の反省を次の試合にどのように活かすかが問題であり、そこにエネルギーを使うことが人間の成長に最も重要なことである。苦痛と戦いながら、しっかり反省を行い、課題をしっかりこなすことにする。
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